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徳川家が命じた築城から明治の廃城まで 荻原一青画「旧尼崎城」
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徳川家が命じた築城から
明治の廃城まで

元和3(1617)年、江戸幕府の命により、譜代大名・戸田氏鉄(うじかね)が尼崎藩主に就き、新たに尼崎城を築きました。明治6(1873)年の廃城令後に取り壊されるまで約250年もの間、大坂の西の守りとしてその雄姿を誇った尼崎城の歴史を紐解いてまいります。

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尼崎城 12名の城主たち

尼崎城は、戸田氏、青山氏、(櫻井)松平氏と、代々、譜代大名が城主を務めました。
3家12名にわたる城主たちの知られざるエピソードなどをご紹介いたします。

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12名の城主たち 「戸田氏鉄公肖像画」(大垣市教育委員会提供)
尼崎城の伝説あれこれエピソード 尼崎城本丸復元模型
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尼崎城の伝説
あれこれエピソード

江戸時代、西は神戸市須磨区の辺りまで統治していた尼崎藩は、実はとっても裕福な藩だったと知っていましたか?そんな意外と知らない尼崎や尼崎城のトリビアを集めてみました。

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徳川家が命じた築城から
明治の廃城まで

徳川家が命じた築城から明治の廃城まで 荻原一青画「旧尼崎城」
元和3(1617)年、江戸幕府の命により、譜代大名・戸田氏鉄(うじかね)が尼崎藩主に就き、新たに尼崎城を築きました。明治6(1873)年の廃城令後に取り壊されるまで約250年もの間、大坂の西の守りとしてその雄姿を誇った尼崎城の歴史を紐解いてまいります。 MORE
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尼崎城 12名の城主たち

12名の城主たち 「戸田氏鉄公肖像画」
(大垣市教育委員会提供)
尼崎城は、戸田氏、青山氏、(櫻井)松平氏と、代々、譜代大名が城主を務めました。3家12名にわたる城主たちの知られざるエピソードなどをご紹介いたします。 MORE
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尼崎城の伝説
あれこれエピソード

尼崎城の伝説あれこれエピソード尼崎城本丸復元模型
江戸時代、西は神戸市須磨区の辺りまで統治していた尼崎藩は、実はとっても裕福な藩だったと知っていましたか?そんな意外と知らない尼崎や尼崎城のトリビアを集めてみました。 MORE

尼崎城関係年表

元和3(1617)年 7月25日
譜代大名戸田氏鉄(うじかね)が近江膳所ヶ崎より尼崎へ5万石の大名として所替えを命じられる
10月14日
戸田氏鉄が尼崎へ入部 幕府から新城を築くよう命じられた
12月
本興寺開山堂・戒壇院などが寺町に移築 この年氏鉄の入部に従い、全昌寺・常楽寺・常隆寺等が膳所から尼崎へ移転
元和4(1618)年 1月〜3月
この頃、尼崎城築城着工か
元和5(1619)年 9月8日
将軍徳川秀忠が尼崎城を視察
元和9(1623)年 夏
将軍徳川家光が尼崎城を視察か
寛永12(1635)年 7月28日
戸田氏鉄は10万石で大垣へ所替え、青山幸成(よしなり)が掛川から尼崎へ5万石の大名として所替え
この年戸田氏所替えに伴い寺町の全昌寺・常楽寺・円通寺・常隆寺・南光院・般若院が大垣へ移転
寛永20(1643)年 6月7日
青山幸利(よしとし)が尼崎藩主になる
寛文2(1662)年 5月1日
西日本一帯大地震 尼崎城天守が傾き、多聞櫓・石垣などが破損
寛文4(1664)年 6月19日
幕府は尼崎城櫓・石垣などの改修を命ずる 南浜と西三の丸の隅櫓5棟を改める この年築地町建設完成
寛文9(1669)年 5月1日
出屋敷地割り始まる(5月中完了)
貞享元(1684)年 9月29日
青山幸督(よしまさ)が尼崎藩主になる
宝永4(1707)年 10月4日
大地震のため尼崎城天守・櫓など破損
宝永7(1710)年 10月16日
青山幸秀(よしひで)が尼崎藩主になる
宝永8(1711)年 2月11日
青山幸秀は飯山へ所替え、松平忠喬(ただたか)が掛川から尼崎へ4万石の大名として所替え
享保元(1716)年 9月18日
尼崎城の堀浚えを幕府に出願
享保16(1731)年 〜 享保19(1734)年
出雲屋八兵衛・水堂屋嘉兵衛・姫路屋新兵衛などが堀浚えの人足を請け負う
寛延4(1751)年 3月20日
松平忠名(ただあきら)が尼崎藩主になる
明和4(1767)年 2月20日
松平忠告(ただつぐ)が尼崎藩主になる
明和5(1768)年
尼崎城下・兵庫津町の町民5,000人が堀浚え人足として従事
明和9(1772)年
本丸に式台・御書院・御帳之間・御居間などあり
安永6(1777)年 8月
石垣孕みのため修築、西三の丸兵庫橋櫓建て直しを出願
安永7(1778)年 12月
石垣孕みのため修築、西三の丸兵庫橋櫓建て直しを出願
文化3(1806)年 2月10日
松平忠宝(ただとみ)が尼崎藩主になる
文化10(1813)年 4月14日
松平忠誨(ただのり)が尼崎藩主になる
文化10(1813)年 7月9日
貴布祢神社で櫓上棟祈祷(同年10月10日にも)
文政8(1825)年
天守修復
文政12(1829)年 10月2日
松平忠栄(ただなが)が尼崎藩主になる
弘化3(1846)年 1月28日
尼崎城本丸御殿出火焼失
弘化4(1847)年 6月13日
尼崎城本丸御殿再建、鎮殿祭
嘉永7(1854)年 11月4日
大地震のため尼崎城御殿・櫓破損
安政2(1855)年 7月4日
地震のため壊れた櫓・渡櫓・多聞・冠木門の修復を幕府に出願
文久元(1861)年 8月6日
松平忠興(ただおき)が尼崎藩主になる
明治6(1873)年
尼崎城の廃城が決まる

※年表は尼崎市教育委員会発行「尼崎城の歴史」より転用

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